AMASUI
I am glad to share you with all my heart.some pictures nature beauty and thanks.some articles are attached from Tokyo writen by me . and I think that Happiness is good thing share with friends.
6.18.2007
3.19.2007
3.13.2007
3.08.2007
How to read
快而有效的讀書法 台大政治系 明居正 教授
甲、如何讀一本書/一篇文章
乙、如何看 數本書/作品
丙、邁向一個領域
甲、如何讀一本書/一篇文章
一、精讀:3W ( WHAT, WHY,WRONG OR RIGHT ) 二、略讀
1:WHAT (作者說了什麼)
2:WHY (他為何這麼說)
3:WRONG OR RIGHT(他說的對不對)
一、精讀
(一):WHAT (作者說了什麼)
1:要求:十句話重建
2:先行步驟:先作分章、分節、作筆記、筆記的篇幅 (全書的摘要)、 筆記的處理、摘要的摘要(「兩半法」的右半 )
(二):WHY (他為何這麼說)
1:要求:不加批判地重建原作者的理論
(1):步驟:分章、分節、作筆記
(2):注意:概念的捕捉與界定、概念的推演與連結(推論與邏輯)、夾帶前提(概念)、概念的疏漏 (推論跳躍)、推論方向有誤、結論的形成
(3):筆記的篇幅 (全書的摘要)
(4):筆記的處理
(三):WRONG OR RIGHT(他說得對不對)
1:右半是否正確
(1)大前提(主要概念)的適切性
1─1:自身的適切性
1─2:對照其他理論或大前提
概念的推演與連結(推論與邏輯
(2) 夾帶前提(概念)、概念的疏漏 (推論跳躍)、推論方向有誤、結論的形成
2:左半是否正確
(1) 理論
1─1:引用他人理論
1─11:正確引用或是誤用
1─12:精密程度與疏漏之處
1─13:突破與開創之處
1─2:自創理論
1─21:與現有理論的比較
1─22:學術或應用的價值
(2) 方法
2─1:論述法
2─2:歷史分析法
2─3:統計或計量分析法
2─4:調查或訪談法
2─5:實驗法
2─6:其他
(3) 資料
3─1:來源
3─2:可靠性
3─3:其他來源的資料
3─4:自建資料
二、略讀
1:讀大標題
2:讀小標題
3:如何搜讀內文:概念與連結
4:讀後回想要點
(一):如何看 數本書/作品
(1):各自作「3W」
(2):交互論辯:
(「爭執焦點」的辨認與整理)
2─1:右半的比較
2─2:左半的比較
2─1:右半的比較
2─11:大前提的適切性
2─12:各小前提的適切性
2─13:推論的周密性
2─14:結論的適切性
2─2:左半的比較
2─21:理論
2─22:方法
2─23:資料
三、邁向一個領域
1、分析自己的知識結構 : 金字塔式的結構 2、勾勒自己未來發展方向
3、辨認自己的強、弱項 4、強項:需更強化、抑或放鬆?
5、弱項:需再加強?
6、如何加強:
(1)修課 (2)影音資料 (3)網路資訊 (4)看書
7、如何「看書」以強化弱項
(1)尋找 並建立 書單 (2)如何篩選書單 (3)看書的順序 (4)重複如何看 數本書/作品的步驟
3.06.2007
amaging grace
3.03.2007
Go to this place
從撒瑪利亞經過
約翰4:1-6
交讀文:19
聖詩:168, 197, 331, 514
2007/2/18
一、耶穌必須經過撒瑪利亞
在傳道的生涯當中有一次耶穌離開猶太地,到加利利去,途中經過撒瑪利亞。猶太地在以色列的南邊,加利利是在北邊,中間隔著的,就是撒瑪利亞。猶太人輕視撒瑪利亞人,因為在以色列被擄的期間,他們被迫與其他的民族通婚,所以,居住於此的人,被認為是不純的猶太人,因此,猶太人歧視他們不與他們交往。
耶穌在此地與撒瑪利亞的婦人相遇,談到了有關永生的信仰問題,這是一段值的回味的記載。耶穌“必須”經過撒瑪利亞,他是非經過不可的,因為就是在這一條路上,也因為如此他指引了這一位撒瑪利亞婦人的信仰。
在我們的人生當中,特別在信仰生活當中有所謂“必須”的事情,比如說是洗禮,小孩子被父母強迫必須到教會去參加主日學、青少年團契、禮拜等等。一個人外出時,還吩咐說要去教會參加禮拜、祈禱等等。不只如此還要受洗, 本來是自由自在地生活,為什麼要受洗而受到約束呢? 若是與上帝有這一種的在靈裡的交通的話即會受到束縛啊!
在我們的信仰生活當中,一群教會的人也有性格不同的人,聖經的研討會當中,也有自己的意見,不相同的意見我們要如何呢? 我們必須要有互相容忍的心,這是信仰生活上必須面對的事。求主幫助我們有這方面的互相容忍的心,若是沒有辦法面對的話,會很痛苦的,不是嗎?
耶穌在登山寶訓當中,如此來勉勵學生與群眾:
『你在祭壇前要獻供物給上帝的時候,要是想起有弟兄對你不滿,你就該把供物留在祭壇前,立刻跟他講和,然後再來把供物獻給上帝。』,懇求主讓我們有智慧和勇氣,來處理這一些我們所遇到的難處。
二、耶穌對這一婦人的傳道
傳道是很要緊的事,有人會認為傳道似乎是多人在一起來傳,那一個效果會更好 。但是,主耶穌給予我們的例子說的,是個人談道的重要性。我們看到現代人的生活,宗教心的墮落,只知道要享受這一個世界的生活,而不去面對上帝,對上帝熱心,與其聽福音不如去喝一杯 這跟對撒瑪利亞人傳道一樣困難的。
但是,耶穌他從一個人的傳道開始,他專注於一位熱心的來幫助她。 在現代的生活上我們很快就會被許多的媒體所吸引,去去看這一個花花世界,甚至於會迷失了自己, 但是,我們可以想想這一個世界重要的事情是甚麼?
耶穌對於撒瑪利亞的婦人談道當中,他向她問了:『叫妳的丈夫來』,她回答:『我沒有丈夫。』耶穌回答:『現在的,不是你的丈夫……』,逐步地向她說明上帝的恩典,上帝的救恩臨到她,為的就是要拯救她。
我們可以體會到,主耶穌祂是如何地,一個人也是很珍惜地,來拯救這一個失喪的靈魂。
耶穌與撒瑪利亞的婦人說到“活水的事”, 喝了主的活水,必不再口渴,因為主耶穌的話如同活的水進入人的心。基督教是一個團體,而形成這一個團體的,乃是活活的主耶穌基督,他使我們可以在靈裡面來互相溝通。如同活水一般來使這一個團體裡面的人,可以得到生命與成長。
世間人會擔憂天氣熱了,沒水喝而口渴,找不到真正的活水,若是能夠找找到真正的活水,一直湧出來而不會停止,那豈不是更好? 感謝上帝,我們因為有上帝的話,所以,不致於沒水可以喝,因為上帝的話,成為我們的活水泉,每一天都可以來看、來喝、來止渴的。
三、真誠地生活
這一個婦人跟耶穌說到有關禮拜的場所的問題,說她的祖先崇拜不在耶路撒冷。但是,耶穌跟她說有關於這一個問題的重點,禮拜不是場所的問題,乃是在於態度,非要用心靈和誠實不可。誠實或是(まこと)意思是,在上帝的面前顯露自己的意思。 例如:我們祈禱誠心地跪在主的面前,向祂悔改,說出實情,懇求祂的原諒,這就是這樣的真誠的態度。
我們常生活在安全的地域,只要不要惹事生非,平平安安就好。有時候,古老的我占據了自己,再怎麼樣,也不願意將自己擺在上帝的面前。兄弟姐妹們,我們是否也要如主耶穌一般,經過那一個不一樣的地方,體會一下不同的感受。 我們
應該出來把自己顯露在主耶穌基督的面前生活,誠意誠心來悔改過去不對的生活,勇敢地來走正確的道路,這樣子的生活,乃是真正的信仰生活。
3.02.2007
Japanese garden
Khiä-khí t„ Lí ê chhù ê, hit hö lâng ü hok-khì;In beh t…t-t…t o-ló Lí. (Si-Phian 84:4)
Lí bô-lün toh-lõh khì , Iâ-hô-hoa lí ê Siong-tè kap lí t„-teh. (Iok-Su-A 1:9)
戦争と平和 郭 寛城牧師
イザヤ書 9:4~7;ルカ福音書 2:14.
2005年12月4日AM10:30
一、 預言者イザヤが予言されたそなた
預言者イザヤは、来るべきお方とは、平和の君、力ある神、勇者であり、勝利を勝ちとる方で、その方が統べる国は平和で、民人には平和と真の平安をもたらすものである、しかも唯一平和の君であると予言された。
新約聖書では、イエスがお生まれになられた時、天使が荒野の羊飼いに近づき、「いとたかきところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と告げられた。これは真にビッグニュウスある。仮に戦場に於いて、戦いは終わった、皆家に帰ってよいと宣告されたら、兵士達にはなんと大きな福音ではないでしょうか?
二、 人間の争い
ヒラリ・R・クリントン前大統領夫人が幼い頃、ある日、いじめに会って、泣きべそをかきながら家に戻った所、母親に「この家は弱虫のための場所ではない。」(lan tau bo ai khau ging na tiam e pang
keng )、しかも彼女を外へ追い出した。それからのヒラリはいじめの仲間の中でいられるような方法を憶え、多くの友達を作った。
人間の争いの中では、勝敗は常で、昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」と争いは止まらないのです。ある人は生きるために、ある人は正義の為、または政治、民族、経済のために争いを起こすのです。その結果、もたらされたのは、残虐、恨み等波風は絶えないのです。
第二次大戦後、東京は一遍の焼け野原で、街路樹1本も残らない有り様です。一方、戦勝国のアメリカでは高層ビルは無傷で、国民は勝利の歓呼に浴していた。1950年代、海外へ出かけるのは難しく、贅沢であった。東西冷戦のさなか、ドイツのベルリンは高い壁で東西に分断され、人民は自由に行き来できない状態に置かれていた。
二十世紀の中で、人類の平和に貢献し、ノーベル平和賞を授与された人の中に、シュバイツァ、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラがいた。
シュバイツァは医師に、哲学者、パイプ・オルガニスト、しかもバッハ演奏の専門家でもあったが、彼はこれら専門の知識と栄誉をかなぐり捨てて、未開発の地アフリカの医療に一生を捧げられたのでした。
テレサは18歳の時、その一生をインドの貧民のために捧げる決心をされた。
また、ネルソン・マンデラは南アフリカの「アパルトヘイト」解放運動のため、20数年間牢獄にいれられ、苦労を虐げられたのです。
人類間の争いは遠い昔から現在に至るまで止まず。しかしながら、信仰ゆえに、多くの人々が己を犠牲にして、愛と希望の種をまかれた。その源を辿れば、それは信仰に基づくものであるのです。
三、 平和の君
御子イエスがお生まれになられたときから、大きな挑戦に遭われたのです。当時のヘルデ王が国中に2歳以下の男の子をすべて殺すような命令を下されたので、イエスは両親と共にエジプトの地へ難を逃れた。また、初めて伝道に携われたときも、いろいろな挑戦を受けられたのです。それはファリサイ人が律法を持って挑んできたのです。言い換えれば、古い律法との戦いで、イエスの新しい考えは彼らには大きな衝撃でしたので争いが起きたのです。
また、弟子の一人に裏切りたイエスは、神の思し召しに従がうか否か、挑戦に直面されたのです。しかしながら、預言者イザヤが予言された通り、イエスはついに神の御旨に従がう道を選ばれ、平和と愛を持ってこの世を征服されたのです。イエスは平和の君としてこられ、人々に明るい平和と希望をもたらされたのです。
兄弟姉妹、私たちは真に戦争と平和のはざまにあり、善と悪のニ者択一の決断に迫られている。私たちはイエスに助けを祈り求めるべきです。そして、喜びと謙虚の心をもって、平和の君を迎えるべきです。そうすれば、イエスはきっと私たちを平和の道へと導かれることでありましょう。
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