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3.02.2007

Japanese garden



Khiä-khí t„ Lí ê chhù ê, hit hö lâng ü hok-khì;In beh t…t-t…t o-ló Lí. (Si-Phian 84:4)
Lí bô-lün toh-lõh khì , Iâ-hô-hoa lí ê Siong-tè kap lí t„-teh. (Iok-Su-A 1:9)

戦争と平和      郭 寛城牧師
イザヤ書 9:4~7;ルカ福音書 2:14.
               2005年12月4日AM10:30

一、 預言者イザヤが予言されたそなた
預言者イザヤは、来るべきお方とは、平和の君、力ある神、勇者であり、勝利を勝ちとる方で、その方が統べる国は平和で、民人には平和と真の平安をもたらすものである、しかも唯一平和の君であると予言された。
新約聖書では、イエスがお生まれになられた時、天使が荒野の羊飼いに近づき、「いとたかきところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と告げられた。これは真にビッグニュウスある。仮に戦場に於いて、戦いは終わった、皆家に帰ってよいと宣告されたら、兵士達にはなんと大きな福音ではないでしょうか?

二、 人間の争い
ヒラリ・R・クリントン前大統領夫人が幼い頃、ある日、いじめに会って、泣きべそをかきながら家に戻った所、母親に「この家は弱虫のための場所ではない。」(lan tau bo ai khau ging na tiam e pang
keng )、しかも彼女を外へ追い出した。それからのヒラリはいじめの仲間の中でいられるような方法を憶え、多くの友達を作った。

人間の争いの中では、勝敗は常で、昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」と争いは止まらないのです。ある人は生きるために、ある人は正義の為、または政治、民族、経済のために争いを起こすのです。その結果、もたらされたのは、残虐、恨み等波風は絶えないのです。

第二次大戦後、東京は一遍の焼け野原で、街路樹1本も残らない有り様です。一方、戦勝国のアメリカでは高層ビルは無傷で、国民は勝利の歓呼に浴していた。1950年代、海外へ出かけるのは難しく、贅沢であった。東西冷戦のさなか、ドイツのベルリンは高い壁で東西に分断され、人民は自由に行き来できない状態に置かれていた。

二十世紀の中で、人類の平和に貢献し、ノーベル平和賞を授与された人の中に、シュバイツァ、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラがいた。

シュバイツァは医師に、哲学者、パイプ・オルガニスト、しかもバッハ演奏の専門家でもあったが、彼はこれら専門の知識と栄誉をかなぐり捨てて、未開発の地アフリカの医療に一生を捧げられたのでした。

テレサは18歳の時、その一生をインドの貧民のために捧げる決心をされた。

また、ネルソン・マンデラは南アフリカの「アパルトヘイト」解放運動のため、20数年間牢獄にいれられ、苦労を虐げられたのです。

人類間の争いは遠い昔から現在に至るまで止まず。しかしながら、信仰ゆえに、多くの人々が己を犠牲にして、愛と希望の種をまかれた。その源を辿れば、それは信仰に基づくものであるのです。

三、  平和の君
御子イエスがお生まれになられたときから、大きな挑戦に遭われたのです。当時のヘルデ王が国中に2歳以下の男の子をすべて殺すような命令を下されたので、イエスは両親と共にエジプトの地へ難を逃れた。また、初めて伝道に携われたときも、いろいろな挑戦を受けられたのです。それはファリサイ人が律法を持って挑んできたのです。言い換えれば、古い律法との戦いで、イエスの新しい考えは彼らには大きな衝撃でしたので争いが起きたのです。

また、弟子の一人に裏切りたイエスは、神の思し召しに従がうか否か、挑戦に直面されたのです。しかしながら、預言者イザヤが予言された通り、イエスはついに神の御旨に従がう道を選ばれ、平和と愛を持ってこの世を征服されたのです。イエスは平和の君としてこられ、人々に明るい平和と希望をもたらされたのです。

兄弟姉妹、私たちは真に戦争と平和のはざまにあり、善と悪のニ者択一の決断に迫られている。私たちはイエスに助けを祈り求めるべきです。そして、喜びと謙虚の心をもって、平和の君を迎えるべきです。そうすれば、イエスはきっと私たちを平和の道へと導かれることでありましょう。