I am glad to share you with all my heart.some pictures nature beauty and thanks.some articles are attached from Tokyo writen by me . and I think that Happiness is good thing share with friends.

2.25.2007

原点に戻ろう


テーマ:原点に戻ろう 
経文:サムエルⅠ 三:10

(中文:回到る原点 経文:撒母耳上3:10)

一、 前言

 子供が外で挫折をした時、心が傷つけられた時、家族の暖かい対応と受け入れ方が肝心です。家庭は避難所であり、安心と安全を保証する場所であります。そして、人の支えになり、敵意に満ちる世であろうとも進んでいけるのです。懸命に会社に働く会社員も会社の信頼と支えがあってこそ働けるもので、挫折したときは、会社の温かい支えと理解を必要とします。
家庭は人の生活の基地だけでなく、親と子は共にそこで美しい思い出を作る場所です。暖かい家庭は、人間形成の原点であり、親はそこでわが子を守り育て、成長させていきます。そして、成人してからも、家庭の温もりが人を守り、育て続けるのです。

二、 神の愛により戻りましょう

 ある人が聖霊の感動により、福音を述べ伝える志を立てたが、世間体に惑わされ、彷徨っていたところ、クリスマスで福音ソングを聴き、再度感動を受け、結局遠回りはしたが、最後は原点に戻り、神の愛の中により戻ったのです。
ルカ福音書の放蕩息子の話しは、正に彷徨する魂の話しです。家庭と家族を捨てた人間の苦しみと悲しみを表す例え話です。辛酸を嘗め尽くした末、最後は再び避難所なる暖かい家に戻り、慰め、励ましと愛を受けるのです。
 我々も日本で彷徨、根無し草のように世を漂流するのでしょうか。
 我々の教会は安らぎを与える場所でなければなりません。私達も教会を愛と讃美と安らぎのある場所に築いていかなければならない、努めて愛と信仰の原点に戻っていかなければならない。

三、 過去の日々を思い出して下さい

 私が福音を接したときの事を思い出します。
 私は子供のごろから教会に出入り、小学から中学まで、いつも両親に付き添って、教会へ行きました。家の近くにも伝道所があり、何時も信仰の先輩たちと共に祈り、交わり、互いに支え合っていました。その生活が母親の大きな支えとなり、私たち兄弟を聖書の教えに導いたのです。毎年夏休みに行われる修養会では、台湾語の勉強をさせられ、私の台湾語の基礎もそこで築いたのです。当時の環境は必ずしも風光明媚の場所ではなく、隣が養豚所のときもありましたが、皆の熱心さを損なうことはなかった。
皆様も始めて福音に接したときの事と場所を覚えていますか?それを思い出して、その原点に戻っていきましょう。
 ヘブル書10:32が言うように「あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。」
そこから再び力を得、共に堅い信仰生活を送りましょう、愛の有る信仰生活を共に迎えましょう。

四、 私は原点に戻ります

 私の一生は神に捧げ、主の為に用い、主に受け入れられたい一心です。
 日々の生活が困難に差しかかったときも、謙って新しい知識を吸収し、奉仕に努めまました。又、何時も神の言葉である聖書の教えを持って、日々反省し、神の御旨を測り取りました。サムエルが言うように:「どうぞお話しください。僕は聞いております。」」(サムエルⅠ 三:10)
私達残りの人生を、聖書の言葉で検証しましょう、何時も原点に戻って、神との誓約を思い起こし、そして、主の呼びかけに答えるのです:「主よ、私は願います、私の一生は神に捧げ、主の為に用いたいのです、どうか私を受け入れて下さい。」

信仰を持ち続けよう

信仰を持ち続けよう     
詩篇78:1~9;コロサイ書1:10~14。
               
本教会創立25周年記念に当たり、神様の御恵みと御守りに対し、讃美の詩をもって感謝を捧げたいと思います。本教会は荻窪にある東京台湾教会の一分教会であります。私たちの教会は原宿に始まり、代々木、目白を経て現在の池袋の地に至ったのであります。本日この教会で礼拝を捧げることが出来るのは、神様の豊かな御恵みと信仰の先輩達が苦労を惜しまず、努力された賜物です。

旧約申命記第八章には、イスラエル人が、土地、家屋、穀物の収穫があるのはすべて神様の恵みでよると記しているように、私たちも神の恵みがなければ今日の成果を成し遂げることは出来なかったのです。植物の葉っぱは太陽の光を得て光合成を行い、そして成長をし、花を咲かせて、実を結ぶのです。神様は大自然を私たちに恵んでくださった為に、私たちは生活することが出来るのですから、私たちは先ず感謝を捧げねばならないのです。

今日、教会内の兄弟姉妹に霊的な成長が出来るのは御言葉と聖霊によるものです。どうか、御言葉と祈りを通して、わたしたちの教会に成長と進歩が有りますように。コロサイ人への手紙1:10に「主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」と記しているようにしたいものです。私たちはまさに真理の探求者であり、求道者でもあるのです。そして各々重荷を背負っているのですから、体験を通して真理を知り、そして成長していくのです。

信仰の道を歩むことは即ち生活です。毎日、私たちは、生活のために働いていますが、単によい生活を過し、物質的に恵まれ、目に見えるものだけではなく、それを信仰に結びつけて意義のあるものにしなければならないのです。何故なら、イスラエル人は祭りごとに、神が先祖達になされた御業を子孫に語り告がれているのです。(詩篇78:1~9)。私たちは神の恵みを知ると同時に、己の生、老、病、死にまつわる苦しみや喜びを主に委ねるのです。そして現在生きている人も責任を持つのです。生活と信仰を結びつけるのです。私たちは毎日の生活に気ばかり取られてはなりません。つねに「神とあなたのこと、神と私のこと」について考えるべきです。即ち、信仰について考え、そして、生活が充実且つ意義のあるものにしたいのです。

25年の歳月が過ぎ去り、私たちも多くの人生経験を味わってきました。出生から成人、若年から壮年、そして死に至るまでの過程において、何が私たちに意義のあるものでしょうか?私たちが努めて持ちつづけるものは何か?聖書に拠れば、すべては過ぎ去り、すべては移り替わるが、永遠に替わることのないのは神様であると記しているのです。私たちが守らなければならないのは、「神様への信仰を持ち続けること」です。何故なら、神様は過去、現在、未来にわたり、永遠に替わることはないのです。私たちが求めば永遠の命を得ることが出来るのです。そして御言葉を守れば、神様の祝福を得ることが出来るのです。

では、ともに恵みの神様に祈りを捧げ下ましょう:
知恵と力を賜る神様、あなたに感謝を捧げます。
私たちは御前に謙り、どうか、
教会の一人一人にあなたの愛を、
教会の一人一人にあなたの憐れみを、
教会の一人一人にあなたの知恵を賜り、
そして、私たちの人生を導いて下さい、
命の主よ、
あなたに感謝を捧げます。